2016年5月12日木曜日

境界線を引きにくい

身近な人への甘え



私たちは、どうしても身近な人に対して甘えが出る。

距離のある人に対しては出来るだけ良い顔を見せようとする。

しかし家族には、
「分かってもらえるだろう」
「許してもらえるだろう」  と甘えてしまう。

もちろん、家族だからこそ我慢できることもあるのですが、そんなことばかり続けていると、結局のところ、家族は本人の悪い部分しか見ることができない、などということにもなってしまう。

これは、
元々が他人である夫婦においては高リスクだ!



よその人に対してはよく褒める。
パートナーのことは最後にいつ褒めたか思い出せない。

褒めるどころか、毎日責めてばかりかもしれない。

もっとも重要な存在であるパートナーのことを褒めもせず責めてばかり、というのは考えてみれば変なことだ。

日々のなれ合いの中、「本当は相手のことを大切に思っているのは分かっているだろう」という妙な甘えがあるのだ。



そもそも、通常の人間関係では、「失礼なこと」として位置づけられる「責める」という行為!

どうしてパートナーとの間では日常化してしまうの?

そこには、
「自分たちの生活をよくするため」という大義名分があるのでは?

これはまさに「運命共同体意識」といえるもの。

「人格を持つ一人の他人を責めている」という意識があまり持てず、自分の一部を叱咤激励しているような気持ちになってしまうのだ。



いろいろと口うるさく干渉してしまうのも同じ。

・相手の服装に口を出す
・相手の交友関係も口を出す

このようなことは、距離のある人に対しては一般に控えられることですが、パートナーに対しては日常的にやっている人も少なくないでしょう。

これも、「運命共同体意識」

つまり、
・相手を別人格として尊重できていない
・自分と相手との間に境界線が上手く引けていない

本来は、「相手の問題」であるはずのものが、「自分の問題」として感じられてしまう。



どういうことか?

「あなたがそんなヘアースタイルでいると妻である私がセンスを疑われる」
「そんなヘアースタイルのあなたとは一緒に歩きたくない」

などと、「自分の問題」として語られていればまだ問題はない。

「そんなこと言うなら一緒に歩かなくていいよ!」などと、相手は自由に反応することができるからだ。



しかし、上記のように「自分の問題」として責任を持って語っている人は、むしろ少数派だ。

一般には、
「あなた!そんなヘアースタイルでいるとセンスが悪いと思われるわよ」
「そんな、ヘアースタイルの人と一緒に歩きたい人なんていないわよ」

などと、客観的な事実であるかのように語られてしまう。

これが、
「責める」という現象!!




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